東北大生のひとりごと

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【6年間別居】大学生で両親が離婚した息子の本音

 

話は今から約10年前に遡る。

 

2009年(当時小学5年生)単身赴任先の名古屋から父が帰ってきた。その年はリーマンショックで世界的大不況に見舞われた年だった。

 

父が当時勤めていた会社も例外にもれず、不況の影響を受け父はリストラされた。

 

俺は父が退職したことで、単身赴任が終わりまた家族4人で過ごせることを嬉しいと感じていた。しかし、父は失業当時48歳。あの不況下での再就職が厳しいということは言うまでもない。当時まだ小学校だった俺は事態の深刻さが理解できていなかった。

 

そこから家族の歯車が狂い始めた。

 

お金が必要なために母は介護職の正社員として働き始めた。ほぼ毎日働いていた。

 

新たな就職先を探している間、父は母から家のことを任されていた。もともと、家事などは一切してこずに仕事だけだった父。料理もさっぱり駄目だった。

 

仕事をしているから父は偉いという今まで家族を支えてきた概念が音もせずに崩れ落ちた。

 

毎朝、父と母が口論になっていて目が覚めた。

 

毎日、学校から家に帰ると父が家にいるのがとても嫌だった。さらに、父は今がどんな深刻な状況なのかも分からないよういつも能天気な挨拶をしてくる。

 

そんな父に僕も姉も嫌気がさしていた。

 

「こんなおもいさせてごめんな」との謝罪の言葉。言葉はなくとも申し訳ないという態度が欲しかっただけだったのだ。

 

父が好きだった。

幼稚園の頃の口癖は「僕のパパはなんでもできるんだよ」本当にそう思っていた。


小学校の頃の休日はいつも父といろんなところに行っていた。前日の夜、楽しみで眠れなかったのをよく覚えている。

当時の日記には「こんなお父さんがいてぼくは幸せものだなぁと思いました」とよく書かれていた。そんな父を嫌になっていくのがどうしようもなく辛くストレスだった。

 

街ですれ違った家族ずれの父をみて自分も普通の父親が欲しかったなと羨ましく思いさえした。

 

2010年(当時小学校6年)俺は強迫性障害を発症して精神科に通うこととなった。

夜寝る時になると、言いしれようのない不安に襲われた。

 

2011年(当時中学1年)4月、姉の大学進学のために引っ越しをした。自分の部屋ができてリビングからは遠く離れたところだったので以前のように口論で起きるということは無くなった。しかし、家族の仲が改善されることはなかった。

 

2011年(当時中学1年生)6月父の再就職先がやっと決まり、父は兵庫に単身赴任することに決まった。

 

正直、ホッとした。もう嫌いな存在が家にいない。家族の雰囲気が悪くなることもない。

 

2011年(当時中学1年生)7月僕は父に手紙を書いた。以前の父に戻ってくれることを願って最後の希望をかき集めて書いた手紙だった。父から手紙が返ってきた。

 

しかし、父の態度は変わらなかった。裏切られた気持ちだった。

 

最初のお盆とその翌年のお盆、父は家に帰ってきた。気まずい空気が食卓に漂っていたのを今でも覚えている。

 

その日を最後に、父が大阪の家に帰ってくることも俺に会いにくることもなくなった。

 

それから、母とは父の話題は避けるようになった。でも、気付いていた。今の状況が普通ではないということに。

 

父との別居状態が続いて約6年と半年、合格発表日の前日ついに父との話を母とした。

 

いつかは話さなければならないと思っていた。母から離婚に関する俺の承認をお願いされた。離婚に関しては覚悟していたことなので抵抗はなかった。このまま離婚せずに関係を修復していくことは不可能だし、それを考えただけで恐ろしい。

 

俺はすんなりと両親の離婚を了承した。

 

2018年3月9日東北大学合格発表日俺の合格が決まったあと、母は離婚届を市役所に出した。離婚が成立した。

 

それから1週間後、父と大阪駅近くの料理屋で会うことになった。

 

店の席には父が座っていた。約5年半ぶりの再開だった。「ドラマみたいな展開だ」と客観的に捉え、自分の気を紛らわした。

 

笑わない僕と姉とは裏腹に「大きくなったなぁ」と嬉しそうにする笑う父。

 

5年半ぶりの再会。なんでそんなに純粋に再開を喜ぶことができるのか?

 

相変わらず無神経だ。やっぱりこの人は何も変わっていない。

 

離婚に入るまでの経緯を父側から話してもらって「本当に君たちにはこんな思いをさせてしまってすまなかった」最後に父がこう言った。

 

5年半もほったらかしにしておいて、今更何言ってんだ。

 

この5年間、誕生日には毎年1万円の入った父からの封筒を母伝いで渡されてきた。「お金を渡されて喜ぶほど俺は単純ではない」毎年、誕生日なのに嫌な思いをしていたことを覚えている。

 

怒りと同時に涙がでた。本当は寂しかった。

 

俺には幼少期の父との想い出がある。こんなにほったらかしにされてもまだ父のことを嫌いにはなれないでいる。

 

何をどうしようとも、もう仲の良かった家族は戻ってはこない。人間大切なことは失ってから気付くことがおおくて、気付いた時にはもう遅い。

 

もし自分が結婚できて、子供ができたら子供には絶対に自分のように寂しく悲しい思いはさせまいと決めている。

 

最後まで御覧いただきありがとうございました。